みなさんこんにちは。今日は武蔵野day2の感想ブログを描きたいと思います。
今回のブログに関しては5thlive全体についてではなく、武蔵野day2の千秋楽にフォーカスして感想を書いていきたいと思います。
1「全体的な感想」
まず全体的な感想としては、本当に参加できてよかったなという気持ちです。
今回のライブは虹ヶ咲の1stlive(以下現実1st)の舞台に戻ってきたということもあり、アニメでの1stilve(以下アニメ1st)と絡めて、色々なリメイク演出をしてくるだろうという自分の中での予想がありました。
現実1stに関して、自分は苦い思い出がありました。
当時から虹ヶ咲を知っていたのに、参加しなかったということが本格的に虹ヶ咲を応援することになってからずっと胸のなかに引っかかっていました。
その後悔を晴らせる最大のチャンスが巡って来たと思い、相当の覚悟を持って挑んだライブでした。
その結果、自分の「こういうセトリを組んでほしい」という願望が強すぎて、自分がずっと聴きたかった曲たちが入らなかったことに大きな失望を抱いてしまいました。
それが1stアルバムのソロ曲たちです。自分が虹ヶ咲に興味を持ったきっかけが1stアルバムだったんですよね。
虹ヶ咲を本格的に応援してから、この曲たちをライブで聞いたことがないのでずっと聴きたいと思っていました。
そして現実1stの舞台である武蔵野の森で、1st曲をやらないなんてあり得ないという強い想いを持っていました。
そんな中で迎えたday2、終盤に差し掛かった段階で1stソロはもうやらないんだとわかり、複雑な感情を抱きました。もちろん、ライブ自体は楽しく自分も盛り上がりました。
しかし、現実1stに参加できなかった後悔とまだ聴けてない1stソロ曲たちへの渇望がある中で、巡って来た運命的なチャンスであり、自分の後悔を全て取り払えるような機会を逃したということは自分の中でまた強い後悔を生んでいくのだなと感じていました。
そうした中で、ライブも最後のMCに突入します。
2「TOKIMEKI Runnersに抱えた想い」
1stソロ曲への想いは先ほど語りましたが、自分が本当に虹ヶ咲に対して興味を持ったきっかけは「TOKIMEKI Runners」を聞いたことです。
当時自分はいろいろ悩んでる時期でもあって、何かを大好きになる気持ちを失っていた時期でした。
まさに「トキメキ」というものを失っていた時期でしたが、その時に聞いたこの歌が自分にめちゃくちゃ刺さったんですよね。
歌詞もそうですが、イントロから心に電撃が走るような衝撃を受けたのを覚えています。
自分語りになりますが、歌詞が自分の人生ととてもシンクロしていて本当に好きなんですよね。
本格的に虹ヶ咲を応援するのはここからまだ一年以上先になるのですが、聞くたびに、ライブで披露されるたびに、虹ヶ咲のオタクとして生きていくたびに自分の中でこの曲に対する想いが深まって行っています。
そして、この曲に対しても実は大きな後悔があります。
それは1stアルバム衣装で9人がパフォーマンスしている姿を見たことがないということです。
ライブに参加したのが3rdライブからだったので、その時が最後の9人のトキランでしたがライブTで披露していたんですよね。
これも最初はあまり気にしなかったのですが、虹ヶ咲を好きになっていくたび、この曲に対する想いが深まっていくたびに呪いのように重くのしかかっていく後悔でした。
そうした中でメンバーも増え、楠木ともりさんがフルパフォーマンスを行うのが難しいことなどがあり、この条件でトキランがライブで披露される機会は限りなく低いと諦めていました。
しかしまさに天啓、アニメでこの曲が新たに生まれ変わり披露されました。
アニメ準拠のライブを行うのは確定していましたし、ワンコーラスであることや武蔵野の森でのライブが用意されているということで、楠木さんも含めて全員でパフォーマンスしてくれるという僕の中での期待感が最高潮に高まっていました。
もうほとんど見れないと思っていた9人の1stアルバム衣装でのトキランが見れるという期待感が、5thでの楽しみのほとんどを埋めていたと振り返って思います。
もちろん、楠木さんの事情は知っていますし、彼女が症状が出るほど無理をして踊るのは絶対に反対です。
ただ、これだけの条件が揃っている中で、彼女もこの曲に対して深い感情を持ってくれていると自分は勝手に信じ、絶対にやってくれるだろうと信じていました。
そして迎えた有明day1、自分はチケットを握れず配信で見ていたのですが、彼女の姿はありませんでした。しかしあまり自分の中で驚きはなく、最初から無理をしてはいけないということで武蔵野のみの披露になるのかなと薄々感じていました。
しかし不安ももちろんありました。彼女の真面目な性格は分かっていたので、中途半端なことはしたくないという気持ちから武蔵野だけ披露するとかはないのかなとか思ったりしていました。
そして迎えた武蔵野day1でも彼女の姿は見えませんでした。
流石に自分も諦めがつきました。そして同時に、彼女に対する申し訳なさを感じました。
楠木さんは今回同じステージですが、横に立ちみんなと同じようには踊っていませんでした。
その中でトキランだけなぜかパフォーマンスしないのを見て自分は、この曲を踊ってしまったらそれだけ彼女の症状が悪化してしまうことなのかなと思ったんですよね。
ましてや前日、とある方の主催の動画企画の中でTOKIMEKI Runnersについて彼女に踊ってほしいと動画で語ったのもあって、なんて無責任なことを言ってたんだろうと後悔していました。
そうした後悔を持ちながら武蔵野day1も進んでいき、ラストの曲になりました。
そこで披露されたのが、トキランの12人バージョンでした。
そしてそこで楠木さんはステージ上で最初から最後まで踊ってくれていました。
言葉は出ませんでしたが、救われた気持ちになりました。
他の曲では全部の振り付けをやっていたわけではなくて、できるところだけ踊っていたのに、この曲だけは最初から最後までしっかり踊ってくれていたんですよね。
僕にはずっと不安なことがあって、それはこの曲の形骸化でした。
始まりの曲であるが故に、キャストにとってこの曲がライブでやるテンプレ曲みたいな扱いになってしまっているのではないかという不安です。
実際この曲はユニットファンミを除き、全ての虹ヶ咲のライブで披露されています。
校内マッチング・シャッフルもそうですしラフェスやカウントダウン、TIFなどの他イベントに出た時もこの曲は必ず披露されています。
そうするとマンネリ化もするわけで、悪いこなれ感が出てきてしまうんですよね。
この曲に秘められた彼女たちの想いや記憶がどんどん薄れていってしまっているのかなと勝手に思ってしまっていました。
そういった不安を抱えていたのですが、アンコールラストにトキランを持ってきてくれたことはとても感動して、まさに「Next TOKIMEKI」公演にふさわしいラストだったと思いました。
なぜこの曲を最後に持ってきたか、それは自分の想像の域を出ませんがキャストの皆さんがこの公演のラストにふさわしい曲だと思ってくれたからなのかなと思いました。
9人のトキランが聞けなかったことは残念でしたが、それはもう心の中に仕舞おうと思いました。多少の諦めと、ある程度の満足感を持って武蔵野day2を迎えました。
3「楠木ともりさんのMC」
1と2を踏まえて、これを話していきたいと思います。
まずは彼女のMCから一部引用したいと思います。
「きのうまでの3公演でどうしても立てなかった曲があるんです。それは侑ちゃんのピアノから始まる『TOKIMEKI Runners』で、リハで何回やっても歌えなくなっちゃうんです。思い入れが強すぎて……。イントロを聴くだけでダメになってしまってムリかもしれないと思って……。それでも、みんなから『一緒に歌いたい』と言ってもらえて、きょう最終日だけでも立とうと思って歌ったんです。」
彼女の想いの強さに自分は涙が止まらなくなりました。
彼女たちが歩んできた軌跡の中で、初めての全員曲。
デビュー当初から決して恵まれていると言えない環境の中で、約一年越しにようやく「あなた」と掴んだ初めての曲。
この曲とともに、「あなた」と歩んできた軌跡が生んだ数々の奇跡。
この曲がキャストたちにとって、軽い曲なはずがないんですよね。
この言葉を彼女から聞けただけで、自分が「TOKIMEKI Runners」を初めて聞いたときに感じた「トキメキ」を信じ続けてよかったと思いました。
そして、この曲を大好きでいられて本当によかったなあと思いました。
これからもずっとこの曲はいろんな人たちの想いを乗せて進化していくと思います。
4「彼女が教えてくれたこと」
トキランの1番の歌詞を引用します。
「見てるだけじゃ足りない 身体動かして
できることないか 探してみようよここで」
この歌詞、自分がいつも思っているのが前文の歌詞と繋がって虹ヶ咲を好きになったファンの始まりを表していると思うんです。
虹ヶ咲を好きになって、トキメキをもらって、いろんなアクションを起こして世界を変えていく・・・・・自分自身もそうでしたし、ほかのみなさんもそうだと思います。
そういった意味で解釈していましたが、また新たな解釈ができました。
それは楠木ともりさんがMCの中で語った
「リハーサルを見ていると、みんなと同じことをしたくなるんです。みんなを見ながら、この動きできるかもとか、みんなと同じことをしたいな、みんなと立つの楽しいなって。」
という言葉と紐づいた解釈です。
「見てるだけじゃ足りない 身体動かして
できることないか 探してみようよここで」
というトキランの歌詞が、まさにこの時の彼女の心情を的確に表現していると感じました。
また、トキランの2番の歌詞の
「やれるかもと 呟き」というせつ菜ソロパートもこのMCの言葉とも関連して、感情が揺さぶられます。
彼女自身、本当に悔しい気持ちでいっぱいだと思います。
4thライブで語ったことも踏まえ、彼女が全力でせつ菜を表現できないことに大きな申し訳なさを感じていることはわかります。
でも、誰だって彼女以外が優木せつ菜を表現できるなんて思っていないでしょう。
彼女しかいないんです。彼女じゃないとダメなんです。
それは多くの人が、できることならば虹ヶ咲を好きなみんなが思っていてほしいことだと自分は考えています。
苦しくても悔しくても「あなた」のために笑顔を届けてくれる彼女の姿を、僕はこれからもずっと見届けたいと思いました。そして一人のあなたとして支えたいと思います。
5「最後に」
自分にとって、このライブは本当に思い出に残るライブになりました。
そして、これからの人生で大事なことを教えてもらった気がします。
一つ目は、「NOの先にしか待っていないYESがある」ということです。
自分は現実1stに参加できなかったことをずっと悔やんでいました。
でももし、このライブに参加できていたら・・・武蔵野day2で味わったたくさんの感動は存在しなかったかもしれません。
出来ないことなら、出来る方法を見つける。みんなで考える。
その先に待っているものは、出来ないことが出来た世界より素敵なものなのかもしれないと思いました。
二つ目は、「虹ヶ咲は常にあなたに手を差し伸べてくれている」ということです。
自分は今年から社会人になり、今までのように虹ヶ咲を精一杯応援することが出来ていないと最近感じていました。
「夢」より「現実」を優先するようになって、キラキラ輝く彼女たちとの差を感じてしまっており、応援することが苦しいこともあります。
でも今回のライブで、彼女たちは常に自分に手を差し伸べてくれていて、自分が勝手に彼女たちとの間に壁を作っているだけなんだなと理解しました。
自分は夢や目標なんてないですが、叶えたい未来はあります。
それに向かって、苦しい時も辛い時も、虹ヶ咲がそばにいてくれることを信じ、一歩ずつ進んんで行こうと思います。
ここまでブログを読んでいただきありがとうございました。
またどこかで。
※文中の楠木ともりさんのMCに関して
https://www.edgeline-tokyo.com/entertainment/97777
から引用しております。